若者じゃないと幸せじゃない社会 〜『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社/古市憲寿)〜

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

震災後の日本社会と若者(1) 小熊英二×古市憲寿
http://synodos.livedoor.biz/archives/1883807.html

この本を読むなら↑の記事も抑えておいたほうが絶対に良いと思う。
この記事を踏まえた上で。


これまで語られてきたずっと「若者論」には違和感を感じていて
「んなもん、若者って一括りにして語んな」と僕はずっと思っていた。


若者の◯◯離れとかこの前の成人の日の朝日新聞の尾崎社説とか。


この本は若者からのそんな若者論へのカウンターパンチだと思う。


この本の構成は大きく3つに分かれている。


①語られてきた「若者論」の不毛さ、的外れさ(第1〜2章)


ここではまず上記に挙げたような現在の若者論の不毛さが提示される。
散々これまで語られてきた若者論がいかに繰り返し語られてきたかがまず語られる。
語ってきたおじさんたちを「ぐぬぬ」と言わせる論説。
「今の若者はなぜ幸せなのか=『いま、ここ』を生きているから」


②作者(=若者から見た)現代の若者とその社会(第3〜5章)


「ワールドカップから見るナショナリズム
「デモと愛国」
東日本大震災とボランティア」
この3点から作者は現代の若者を分析する。
ここで見えてくるのは
「社会をよくしようとは思っているけれども、バラバラで連帯出来ない若者」の姿。


③これから社会と若者の行方(第6章)

これからの社会は「絶望的」でだけれども、若者は「幸せ」である。
けれども若者はずっと幸せでいられるのか。この社会は継続していけるのか。
この本の結論部分。


僕と作者は同い年で同じ「若者」として非常に共感出来る内容だった。


僕もなんだかんだ言って「幸せ」だ。
普通に仲間がいて、友達と遊んで、仕事やら大変なことはあるけれども
毎日を楽しんでいる。


けど、自分が若者でなくなってしまった時、僕は幸せだと思えるだろうか。

この本の題名、『絶望の国の幸福な若者達』が示すのは
「絶望の国で幸せでいられるのは若者」であるという事だと思う。


作者は「一億総若者化社会」が来るという。
しかし、僕達はいつまで若者でいられるのだろう。


上記の記事で小熊英二はバッサリこう言っている。

たぶん35歳になってオーバードクターの年限も切れ、学術振興会の助成金も取りそこね、時給800円の職しかなくて親の介護が必要になりはじめたら、「なんとなく幸せ」とは書かないでしょうから。

村上春樹東浩紀が描いた「35歳問題」
「自分が『成し得た事』と『これから成し遂げられるであろう事』」が逆転してしまう35歳。
小熊英二は「未来で評価される人が若者」であり「未来で評価される期間はそんなに長くないんですよ。」と言う。


そして実は若者と言われる20〜30代の死因のトップは「自殺」である。
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2011/pdf/pdf_honpen/p16-18.pdf


若者じゃなくなってしまった時、僕達は幸せでなくなってしまう絶望の国(=社会)にいるかもしれない。


「いま。ここ。」を大事にすることが出来る「若者」の生活満足度は今後も高止まりし続けると僕も思う。
だけれども、「若者」でいられなくなった時、絶望して自殺する
またはある程度の年齢(≒35歳)まで達すると急激に生活満足度が落ちるようになるのではないか。


綱渡りの幸せを生きる「若者」。



だからこそ、作者が目指すのは「誰もがいつまでも幸せ=若者*1でいられる社会」。
ほぼ同時に出た作者の「上野先生、勝手に死なれちゃ困ります」で語られていたのが
「親の介護と死」という問題、若者でいられなくなるような時を扱っている。

古市 20代の若者が、フリーター的な生き方を30、40代まで続けていくというモデルはありえないと思いますか。

小熊 現状の日本の制度ではありえないですね。あなたがいう「フリーター的な生き方」というのが、「とりあえず幸せ」をずっと続けられるという意味なら。

*2

しかし、残念ながら絶望の国はいつまでも若者でいさせてくれない。
だったら僕達 若者はどうすべきなのだろう??
とりあえず自分が生き抜くにはどうしたら良いかから考えて見ることにしたいと思う。


買ったのは1月半ばで既に第6刷。快調に売れているみたい。
全体にシニカルかつ茶目っ気のある文(特に脚注)なので非常に読みやすいし、
内容のインパクトがあるので多くの人に読まれたらと思う。
特にいまを生きる「若者」に。